「英語ができない自分に海外留学なんて無理だ」と思っていませんか?実は私自身、学生時代は英語のテストで赤点ばかり。英検3級にも2度落ちたほどの落ちこぼれでした。そんな私が25歳で会社を辞めてアメリカ留学に挑戦し、最終的にはMBAをトップ成績で卒業することができました。ここではその体験談を通して、「英語ができなくても留学できる」ということをお伝えします。
英語が苦手でもアメリカに憧れ続けた学生時代
中学・高校時代の私は、英語の成績といえばいつも赤点ギリギリ。単語テストは暗記が追いつかず、授業中に先生から当てられても答えられないことが多く、劣等感ばかりが募っていました。
英検3級も2度受験しましたが、どちらも不合格。
周囲の友達が合格していく中で「自分には英語の才能なんてないのかもしれない」と何度も感じました。
それでも心の奥底では、ハリウッド映画や洋楽に触れるたびに「いつかはあの世界に行ってみたい」という思いを捨てきれませんでした。特に映画の中で自由に英語を話す登場人物を見て、自分もその一員になれたらと夢を描いていました。英語は苦手でも、アメリカに対する憧れは誰にも負けないほど強かったのです。この「憧れ」が、のちに留学という大きな決断を後押しする原動力となりました。
25歳、会社を辞めて語学留学を決意
社会人になってからも、アメリカへの憧れは心のどこかにずっと残っていました。しかし、日々の仕事に追われるうちに「海外に行くなんて現実的じゃない」と夢を押し込めていたのです。
そんな時、親戚から「アメリカ留学の話があるけど、行ってみないか?」と声をかけられました。当時は、社会人2年目で営業成績も全国トップをとっており会社に馴染みはじめていた時期でもありました。
しかし、このままでいいのか?という自問自答を繰り返した先に、心の奥に眠っていた夢が一気に蘇り、胸が高鳴るのを感じました。
もちろん不安はありました。英語が話せない状態で本当に大丈夫なのか、25歳という年齢でキャリアを一度リセットしてしまっていいのか…。悩みながらも「今挑戦しなければ一生後悔する」と強く思い、思い切って会社を辞める決断をしました。その瞬間から私の人生は大きく動き出し、ゼロからの語学留学という新しい道が開けたのです。
渡米1日目、マクドナルドでの挫折
留学の準備はなんとか英語ができる人に手伝ってもらいながら、辞書をひきながらなんとかVisa取得から航空券の手配まで漕ぎ着けることはできた。
入国審査でドキドキしながらもアメリカに到着した初日、空港からの移動で疲れていた私は、簡単に済ませられる昼食を求めて近くのマクドナルドに入りました。
メニューは日本のマックと同じだろうし、なんとかなるだろうと軽く考えていたのです。ところが、いざカウンターに立つと、目の前のスタッフの英語がまるで聞き取れず、頭が真っ白になってしまいました。
「①のコンボミールをください」と言いたいだけなのに、
伝わらない。なんども「ナンバーワンミールプリーズ…」といっても通じなかった。
後ろには列ができていて、焦る気持ちだけが募っていった。
そして、対応してくれていたスマイルゼロ円を当時謳っていたはずのマックなのに、
無愛想な顔で「次の人〜〜〜」
と言われ、後回しにされてしまいました。カウンターの少し後ろにある柱でまっとけというジェスチャーをされながら、カウンターから離れた柱に寄りかかりながら、情けなさと悔しさで胸がいっぱいになり、なんとか注文したハンバーガーの味はいつもよりしょっぱかった・・・
この体験は私にとって衝撃でした。「こんな簡単なこともできないのか」と自分を責めつつも、「絶対に英語を話せるようになってやる」という強い決意が芽生えた瞬間でもありました。振り返れば、このマクドナルドでの挫折が、その後の猛勉強と成長の原点だったのかもしれません。
コミュニティカレッジで見つけた強み
語学学校で基礎を学んだ後、私は地元のコミュニティカレッジに進学しました。最初の頃は、授業のスピードについていけず、先生の質問に答えることもままならない状態。クラスメイトが流暢に意見を述べる姿を見ては「自分は場違いなのでは」と落ち込む日々が続きました。
しかし、ある授業で状況が一変しました。それは数学のクラス。数式や理論は言語に依存しないため、英語が十分にできなくても理解できる自信がありました。数学101から気がつけば、文系だった私は、数三・Cのレベルのクラスまで授業を続けることができたのです。
実際に授業が始まると、私は次々と問題を解き、クラスメイトから質問を受ける立場に。気がつけば「英語は苦手でも、数学なら頼れる人」というポジションを得ていました。
しまいには宿題を忘れていて無言でいても、教授からは『君は英語でなんて言っていいかわらないのか?じゃ〜しょうがない次の人!』と宿題をしていないとは思われないほどに信頼を獲得することができたのです。
この経験から、「苦手な部分ばかりに目を向けるのではなく、自分の強みを活かせば道は開ける」という大切な気づきを得ました。英語の壁に阻まれながらも、数学という得意分野を通じて自信を取り戻したことが、その後の学びを続ける大きな支えとなったのです。
TOEFL(iBT)90点突破、MBA進学へ
コミュニティカレッジでの学びを通じて少しずつ英語力も伸びてきた頃、次の大きな目標としてTOEFLの受験に挑戦しました。MBA進学を目指すには高いスコアが必要で、当時の自分にとってはまさに高い壁。授業の予習・復習に加え、毎日深夜までリスニングやスピーキングの練習を重ねる生活が続きました。
何度も模試で不合格ラインを叩き出し、心が折れそうになる瞬間もありましたが、「ここまで来たら絶対に諦めない」と自分に言い聞かせました。その努力の結果、ついにTOEFL iBTで90点を突破。しかも、大学時代の成績(Fラン大学だが…)当時獲得した平均点も評価され、MBAへの進学に加えて奨学金を獲得することができたのです。
「マクドナルドで注文すらできなかった自分が、ついにMBAの扉を開いた。」あの瞬間の達成感は今でも忘れられません。努力すれば英語力は必ず伸びる、そして夢は現実になる――そう実感できた大きな転機でした。
奨学生として挑んだ厳しい1年目
奨学金を得てMBAに進学できたことは大きな喜びでしたが、その代わりに課せられたハードルは想像以上に高いものでした。奨学生には「1セメスターに受講するクラスの数と高い評価点」が条件として課され、課題の量や授業のレベルは他の学生よりもさらに厳格に求められていました。
特に最初の1年は、ビジネスの専門用語を含む英語での授業に苦戦し、リーディングだけで数百ページはあろうかという分厚い本を10冊以上読んでそれらの要約と自分の見解をもとめられたり、ディスカッションをするための素地をつくらなかったりと、授業と宿題に追われる日々。
ケーススタディではディスカッションに参加できず、発言できない自分に落ち込むこともありました。いえに帰ってからも玄関の前に倒れ込んでそのまま寝落ちしてしまうこともしばしばありました。
ふと夜中に目が覚めて、このままこの生活が続けられるのか?と悩みました。
しかし、そのたびに「せっかく掴んだチャンスを無駄にしたくない」という気持ちが背中を押し、必死に食らいつきました。
夜遅くまで図書館に残り、翌日の授業に備えるのが当たり前。仲間に助けられながらも、必死にノートをまとめ、理解が追いつかない部分は教授に質問して何とか克服していきました。振り返ると、この奨学生として過ごした1年間は、人生の中で最も厳しく、同時に最も成長できた時間だったと言えます。
2年目から通常生徒に、待ち受けていた卒業クラスのハードモード
奨学生としての厳しい1年を乗り越え、2年目からは通常の学生として学ぶことになりました。奨学金というプレッシャーからは解放されましたが、決して楽になるわけではありません。むしろ「卒業クラス」と呼ばれる最終段階のカリキュラムは、それまで以上に過酷なものでした。
特にグループワークやプロジェクト課題は膨大で、夜通しディスカッションを続けるのも珍しくありませんでした。次第に課題の重圧に耐えきれず、クラスメートが次々と途中で脱落していきました。
次の授業では誰がいなくなるのだろうか?自分のグループで脱落者がでるとその文グループワークの負担も増えてきます。そのため、内心ビクビクしながら授業に顔を出していました。
最終的にはクラスは半分にまで減っていました。
そんな環境の中で私を支えたのは、「ここまで来たら絶対に最後までやり抜く」という強い意志でした。英語力の不足を補うために人一倍努力し、授業では常に前向きに発言を心がけました。
気づけばクラストップの成績で最後の授業をクリアすることができたのでした。
まとめ ― 英語ができなくても挑戦すれば道は開ける
学生時代は英語が大の苦手で、英検3級すら落ち続けた私。それでも「アメリカに行きたい」という憧れを捨てずに25歳で留学を決意しました。最初はマクドナルドで注文すらできず挫折しましたが、その悔しさをバネに努力を重ね、コミュニティカレッジで自分の強みを発見し、TOEFLで90点を突破してMBAに進学。そして数々の困難を乗り越え、最終的にはクラストップの成績で卒業することができました。
この経験から学んだのは、「英語ができなくても留学はできるし、現地で必ず伸びる」ということです。大切なのは、出発前に完璧を目指すことではなく、環境に飛び込んで努力を続ける勇気。最初の一歩を踏み出せば、語学力だけでなく人生そのものが大きく変わっていきます。もし今、「英語ができないから無理」と迷っている方がいるなら、自分を信じて一歩を踏み出してほしいと思います。

